現代において普遍的なものの1つに「見た目より中身が大事」と言われます。
好きな人のどこが好きと聞かれた時に「顔」などと答えようものなら周りからバッシングされネット上では炎上の火種となります。
たしかに我々は人間である以上、その人格は非常に大切な要素の1つでしょう。 しかしそれと同じくらい世の中では見た目というものが力を発揮します。
恋愛はもちろん、面接の場面や仕事においても往々にして見た目の良い人はそうでない人に比べて優遇されます。
「言ってはいけない 残酷すぎる真実」で橘玲さんは美人と容姿的に不自由な方(以下ブス)との美貌格差は3600万にのぼると言います。
つまり誤解を恐れずに言えば「美人は正義」なのです。 しかし我々はこの類の言葉を聞くとなぜか嫌悪感に包まれます。
ではなぜ顔が良いと堂々と言ってはいけないのか。なぜ顔採用をしてはいけないのか。 その謎に迫ります。
顔は才能
さて、見た目で優遇してはいけない最大の要因。それは「先天的なもの」だからです。
つまり美人は生まれつき美人でその先一生美人な人生を送る。一方でブスは一生ブスな人生を送る。これらはどこかでひっくり返る事はなく生まれついた瞬間から絶対に覆す事ができない事実だ。という考え方が根底にあるからではないでしょうか。
つまり顔で恋人を選ぶ事や社員を採用する事は肌の色で差別する黒人差別と同じ事だということです。
我々はどんなに努力しても容姿を変える事はできない。美人は美人としてブスはブスとして生きて行くしかないという事です。
これだけブスという言葉を多用した事は人生初めてです。悪意はありません。
そしてそんな絶対の法則に逆らう行為こそが「整形」なのです。
アイツは整形だ。とか親からもらった顔を傷つけるなんて間違っている。とか整形に対しては実に批判的な言葉が飛び交う世の中ですがその根底にあるのはブスはブスのままという侵してはいけない絶対のルールを破る行為だからだという事です。
アイツはブスのくせにルールを侵して美人になった。だから批判の対象になるのです。
顔は努力
ひと昔前まではこのような考え方が世の中を支配していました。ところが最近はその常識が変わりつつあります。
メイクの技術が発達し昔よりも綺麗になる事が簡単になりました。特に「アイプチ」の威力は凄まじく、もはや別人かと思うほど美人になる人が続出しました。 YouTubeではメイク前後の変身動画やメイク方法の動画が爆発的に増え、私の周りの女子達はもれなく「アイプチ女子」となりました。
また世間ではざわちんの整形メイクが流行り女優有村架純さんの姉、有村優子さんの整形に対して賞賛の声が挙がっています。
これらの変化を感じつつ思うのが美人とはもはや「ある」ものではなく「なる」ものだという事です。
つまり努力によってどうにもならなかった美人が努力によって手に入ることだという事です。 従ってこれから先、ブスという事は先天的なものではなく単なる努力不足とみなされる時代が来るかもしれません。 もちろん最初のスタート地点が違いますから頭ごなしに否定される事はないでしょう。
しかしながらもはや克服できない現象ではなくなりつつあります。 そのため我々は内面を磨くと同時に、常に見た目を磨く努力も怠ってはいけないのです。
まとめ
どっちゃにせよ容姿的不自由な人には辛い世の中なのでしょうか、、、
あゝイケメンになりたいナァ