仕事を読む

自分で考えろって指導を自分で考えてやってる人って少ないんじゃないかって話

社会人2年目になりました。(もう5ヶ月くらい経っているけど)

さて新人は必ず上の人から言われるであろう “自分で考えてやれ”。

そんなこと言わずに教えてよーパイセン なんて思いながらがもがき苦しむのが当たり前の様になっていますけど、 ちょっと待ってくれ 本当にそうなのか? 本当に自分で考えろは正しいのでしょうか。

今回は物事を学ぶプロセスから“自分で考えろ”がどういう概念なのかを考えていきます。

初心者がやるべきことは

日本の社会では往々にしてこう言われます。

自分で考えろ

見て盗め

しかしちょっと待って下さい。 我々が何か新しい事を学ぶとき、いきなり自分で考えてやることはまずありません。

勉強でもそう、スポーツでもそう、音楽でもそう。 私たちがこれらを習得しようと思った時に初めにやるべきことは

自分で考えることではなく

徹底的に型を学ぶことなんです。

例えば水泳を習うとしましょう。 そうすると我々はまず、泳ぎ方を教わります。 クロールの型を学ぶし 背泳ぎの型を学ぶし 平泳ぎの型を学ぶし バタフライの型を学ぶわけです。

そしてそれらの型が完璧にできて初めて“自分で考え”始めるのです。 基本的な型はちゃんと習得した。 でもどうもタイムが縮まらないな。その段階に来て初めて自分で考えてアレンジし始めるのです。

まずは溺れましょう

ところが今の日本の会社では何が起こっているかというと、いきなり自分で考えさせます。

つまり水泳で言えば まず泳いでみて と言って溺れされるわけです。当然泳ぎ方なんて習っていませんからね。

無残に溺れていきます。 ブクブクブク、、、、

しかしどうにか泳がなければならならい私たちは何をするかというと 「自分で考えて」泳ぎ始めるわけです。 ところが基礎の形が全く身についていない状態で泳ぎ始めるわけですから当然上手くいきません。

結局、我流になってしまい十分な結果が出ません。 結果が出ないと上司からは当然怒られ、使い物にならないと言われる。

そうすると気持ちは落ち込み、仕事への意欲は低下していきます。

自分で考えれば考えるほど泥沼にハマっていき精神を病み、最終的には自殺を図る。

かなり極端ですがこれで日本の会社における自殺の要因の出来上がりです。

教えてもらうことの本質とは

我々が人や本など様々な事から学ぶ最大の利点は「時間の短縮」です。

なぜ我々は学生時代、教科書を使い、先生に教わりながら勉強をしていたのか。

それは先人達が人生をかけて発見した定理や公式を一瞬で習得するためなんです。

もし教科書がなく、私たち一人一人が数学の公式や、物理の法則を発見しようとすると莫大な時間がかかります。 過去の偉大な学者たちが人生をかけて発見したような法則は一般の我々が発見するのは不可能です。

現代に生きる私たちがすべきことは、自分で考えて1から作り出すことではなく、 基本的な事は先輩に聞いたり本で読んだりしてサッサと学んでしまって、 空いた時間で「新しい事を考える」ということなんです。

つまり1.2年目なんて自分で考えるのではなく、徹底的に基礎の型を習得して、 そしてある程度経験年数が経過したところで初めて「自分で考える」という事をするのが最も効率の良いやり方ではないでしょうか。

まとめ

自分で考えることはとても大切です。

しかしそのメリットとデメリット、そして物事を学ぶ中のどの段階で使えば最も効率的かを、指導する立場の人は考えてみてください。

決して経験則には頼らぬようお気をつけくださいませ。