将来を読む

「スマホを落としただけなのに」から見る未来の私たち

 映画 スマホを落としただけなのに囚われの殺人鬼を観てきました。(2020年2月25日に)

天気の子以来、久しぶりに映画館で映画を観ましたが、良いですね。 やっぱり映画館で観ると迫力が違います。

特に白石麻衣さんの体を張った演技は必見です。

さて、映画の感想については諸家に譲るとして、今夜は「スマホを落としただけなのに」からある歴史学者の話を思い出しました。

悪意ある者が使えばスマホやインターネットがいかに脅威になるか、今回の映画を観ればよく分かります。

そんな情報社会の行き着く先は、、、

今夜はこれを読もうか

本日はユヴァル・ノア・ハラリ氏の21Lessonsです。

注意) ここからは「スマホを落としただけなのに」のネタバレを含みます

コンピュータによる支配

「スマホを落としただけなのに」のメインの1つはなんといっても、真犯人の浦野 善治です。

天才クラッカー(悪質なハッカーをクラッカーと言うそうです)の彼によって 主人公の稲葉 麻美は文字通り「スマホを落としただけ」で私生活から友好関係など全て筒抜けとなります。

さらには彼女自身になりすまされて、私生活を無茶苦茶にされ命の危機に陥れられます。

現代ではコンピュータを自在に操ることができれば、あらゆることが可能になります。

現代社会は情報社会と呼ばれ、飛行機や電車、医療機器、炊飯器や洗濯などあらゆるモノが電子制御によって行われています。

さらにこれから先の時代はIoT(Internet of thighs)いわゆる全てのモノがインターネットに繋がる時代が来ると言われています。

スマホ1つで家の電気を消したり、風呂を沸かしたり出来る様になります。 もっと発達すれば靴や服もインターネットに繋がり、常に自分の状態をチェックできるようになります。

このようにこれから先は今まで以上にスマホ1つで色々な事が可能となります。

それはつまり、私たちは今まで以上にスマホやインターネットに支配されてしまうということです。

もし本作と同じ様に悪質なハッカーに捕まってしまったら最後、あっという間に人生を壊されてしまいます。

 データ教とホモデウス

現在でさえ、我々は生活の多くをインターネットやコンピュータに依存して生活しています。

それは多くの利益をもたらす一方で、悪用されると瞬く間に世界を混乱に陥れてしまう脆弱性を抱えています。

ただ、現在はまだその間違いに気付く事ができます。

例えばスマホを乗っ取られた事や、機械の誤作動に全く気付けない人は少ないでしょう。 多かれ少なかれ自分たちの生活に悪影響を及ぼすことに気付く事ができます。

ところがこれから先の未来、ますます機械の発達とバイオテクノロジーの発達が起こった時、 我々は意思決定や感情さえもコンピュータに乗っ取られてしまうのではないかと言われています。

そして既にその兆候は起き始めてきます。

例えば、食事に行くときに 我々は友達のオススメやテレビのオススメよりも遥かに多くの回数を食べログのレビューに頼っています。

あるいは、YouTubeを見ていて次に何の動画を観るか決めるときに、YouTubeのオススメから選んで観ることが多いと思います。

一見すると自分で決めているように思いますが、これはコンピュータが過去のデータを元にしてあなたが行きそうなお店や動画を選ばせているのです。

さらにこの先の未来では、例えば過去に観た映画の1シーンで感動していることが、コンピュータと繋がった服から脈や体温、筋肉の動きなどを検知して読み取れます。

そうするとそれがデータとして蓄積され、Googleが次からはそれと似た映画をそれとなく表示させるのです。

するとあたかも自分で選んでいるかの様に思えて実はコンピュータが意思決定や感情を誘導している事となります。

我々はそれに気付けないまま、Googleは便利だねーとか言ってますます人生における様々な選択をコンピュータに委ねる様になります。

そうすると、段々と自分の考えよりもGoogleで検索する方が正しい様に思えてきます。

Googleが絶対だ。データが1番正しい。

そうなれば晴れてデータ教という宗教の仲間入りです。

そして、そのデータを操れるごく一部の人類がホモ・デウス(人の神)になると言います。

一方でその他の大多数の人間がそのデータに支配される家畜と化すのではないかと言われています。

つまり、ホモ・デウスと呼ばれるデータを支配する人たちにデータを悪用されると、その支配下にある人たちでは太刀打ちできなくなる可能性が大きいといいます。

自由であったはずの社会が、いつの間にやら昔の様な独裁体制に戻ってしまう危機が予測されるのです。

 虚構の共有の暴走

さて、人間がこの生存競争の頂点に立てた最大の要因が「虚構の共有」です。

虚構とは妄想。つまりある人の妄想を皆んなで共有できる事こそが、他の動物にはない人間の最大の特徴なのです。

例えば、神様。 宗教を信じている人には申し訳ないですが、 神様というのは完全に人間の妄想です。

実際に神様に出会った人は1人もおらず、神様という架空の存在を皆んながあたかも存在するかの様に信じているからこそ成り立つ概念なのです。

その他にも国家や社会、家族、学校などの様々なコミュニティ、果てはお金まで全て虚構の共有なのです。

そして、今世紀最大の虚構こそが、インターネットなのです。

インターネットというバーチャル空間はまさに実体のない虚構そのもの。

その虚構がこれまで書いてきた様に、この先の未来、私たちを支配する可能性が高いのです。

ただ、元を辿ってみればインターネットだってただの妄想なのです。

そんな妄想に支配されて自分たちの自由が奪われないために、我々は何が正しくて、どうすれば良いのか。

きちんと客観的に、自分で考えていく必要があります。

インターネットに支配されない、情報を持つものに良い様に利用されないためにも何をしなければいけないのか、それを常に考えながら生きていく事が大切なのではないでしょうか。

まとめ

インターネットは便利です。

しかしそれにあぐらをかいているといつの日か乗っ取られる日が来るかもしれません。

今夜の名言

信じることから始めるのが宗教なら、 疑う事から始めるのが科学です。

「ガリレオ」 ー湯川 学

参考文献

・映画「スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼」

・「サピエンス全史」 ユヴァル・ノア・ハラリ

・「ホモデウス」 ユヴァル・ノア・ハラリ

・「21Lessons 21世紀の人類のための21の思考」   ユヴァル・ノア・ハラリ